【吉原細見】江戸時代の性風俗文化

edo_fuzoku

一生に一度きりの晴れ舞台。
お気張りなんしー

こんにちは。
突然何かと思ったことでしょう。
こちらは水揚げ ( 後述 ) をまえにした妹に姉女郎がかけた言葉、とでも言いましょうか。
男の極楽、女の地獄と言われた江戸は吉原遊廓。
今回はその主役である遊女たちのおはなしをしたいと思います。

1 遊女の仕事

ご存知の方が多いかと思いますが、
遊女は遊廓などで男性客に性的なサービスをして収入を得る女性のことを言います。
その語源は「 客を遊ばせる女 」 という意味からきていました。
彼女たちはお呼びがかかるとお座敷にあがり、踊りや三味線などで男性客を接待しました。
そして要望があれば性的な接待もします。
また現代の感覚では分かりづらいですが、
彼女たちは、例を挙げると 「 島田髷 」などの髪の結い方や、着物の柄から帯の結び方にまでファッションリーダーという意味で廓の外の女性から憧れられる存在でした。

2 遊女になるまで

江戸時代、遊女になる女性のほとんどは東北の農村などの貧しい土地から売られてきた少女たちでした。
彼女たちは親から女衒に売られ、
また女衒から置屋へと売られます。
その置屋でもさらにふるいにかけられ、
姿は美麗で頭脳も明晰な少女たちだけが禿、新造になることができ、
姉女郎から手練手管を教わり、
初めて客をとることとなります。
これが前述の 「 水揚げ 」 です。

3 お座敷あそび

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それではいちど遊女たちから離れて、
お座敷で遊ぶ客のおはなしをしましょう。
遊女の位が高くなればなるほど、
客が彼女たちと遊ぶには時間やお金、そして段階を踏むことが多くなります。
まずは初回。今でいう一見さんのことですね。
初回では遊女と客は床に入りません。
遊女のほうから客が自分に相応しいか見極めているわけですね。
そして2回目目に御目通りすることを裏を返す、と言います。
このころにはやっと遊女も客もくつろいで酒や台のもの ( 食事 ) にも手をつけます。
そして三回目。
3回通って客は初めて馴染み ( 常連 ) になる機会を得ます。
そしてやっと、遊女と一緒に床に入るというわけです。
遊女は性を売るのを職業としていますが、
ここは江戸っ子の心意気、とでも言いましょうか。
セックスだけを目的とせずに遊女と 「 遊んだ 」のです。

4 柳生病と避妊

さて。性を売るのが遊女の仕事です。
ここで説明しなければならないのが、
柳生病 ( 性病 ) と避妊の方法でしょう。
江戸時代、梅毒や淋病などの性感染症は柳生病と呼ばれていました。
もちろんこれらの感染症の治療法などはありません。
そのため、梅毒などの病気に罹り年季が明けるまでに亡くなってしまう遊女も多かったようです。
避妊方ももちろんコンドームなどがあるはずもなく、もっぱら洗浄が主でした。
薄紙を噛んで膣の奥に入れるペッサリーのようなものもあったようですが、
とても完全な避妊法とは言えませんね。

5 遊女の一生

さて。おはなししたとおり、遊女たちは売られた身です。
借金を返すため、年季が明けるまでだいたい 10 年ほどは働かなくてはいけません。
年季明けを待たずに身設け ( 客と一緒になったり、妾になること ) で廓を離れる幸運な女性もいたようですが、
ほとんどの遊女は年季の明けるまえに病気で死んでしまったり、
運良く年季が明けるまで生き延びても、
廓のなかでしか生きてこれなかった身。
もう一度廓にもどって遣り手 ( 遊女の世話をする女性 ) になったり、格下の見世で働く女性も多かったようです。
これが、遊廓が男の極楽、女の地獄、と呼ばれる所以です。

いかがでしたか。
今回はいつもとすこし趣を変えて、
江戸時代の性風俗文化の代表とも言える吉原遊廓の遊女たちのおはなしをさせていただきました。
この記事を読んでいただいたことをきっかけに遊廓、遊女に興味を持っていただけたら嬉しいです。


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