「お化粧」の歴史 其の一 〜古墳時代から平安時代〜

こんにちは。ノノです。

最近はメイクの記事やおすすめの化粧品の紹介などが主になってきました。

今回は、わたしたちが毎日している「お化粧」の歴史についておはなししたいと思います。

1 古墳時代

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日本で「化粧」が行われていたことがはじめて確認されたのは、古墳時代のことです。

古墳時代の豪族のお墓の副葬品である「埴輪」から、

赤い顔料で顔やからだへお化粧をほどこしたものがいくつか見つかっています。

しかし、この時代の化粧は今のような「おしゃれ」という感覚とはほど遠いものでした。

災いから身を守る、呪術的な意味合いが大きかったのです。

これは、古代エジプトのアイラインにも通じます。

古墳時代のもっとまえ、古代エジプト文明でもお化粧は行われていました。

古代、どの文明でも病や災いは悪い空気がからだのなかに入ることでおこる、と考えられていました。

そこで古代の人たちは悪い気がからだのなかに入らないよう、

たとえば古代エジプトでは目の際にアイラインを引くなどのお化粧を行っていたのですね。

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はなしは古墳時代に戻りますが、古墳時代の化粧にはもっぱら「赤」が使われていました。

その理由は、赤という色は太陽の色と考えられていたからだと言われています。

時代は繰り返すと言われていますが、

このところ流行りの赤リップが古代にも使用されていたのですね。

2 飛鳥時代

さて。では、日本での「おしゃれ」を意識しはじめたメイクが行われるようになってきたのはいつごろからなのでしょうか。

最古に確認されているのは、

6世紀後半、聖徳太子が活躍したり隋へ遣隋使が派遣されていた、飛鳥時代のことです。

このころ、大陸からおしろいや紅などが持ち込まれて、

日本でも大陸に影響された化粧文化が始まったと言われています。

大陸から輸入されてきたおしろいなどは、鉛を酢で蒸してつくられていたようです。

時代がすすむにつれ、宮廷の女性たちのあいだでははおしろいをはたいて紅を塗る、

というメイクが流行っていくことになります。

3 平安時代

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遣唐使が廃止されたのは9世紀後半のことです。

平安時代。この時代から日本も独自の文化が息づいてきたのではないでしょうか。

平安時代の美人と言えば下膨れの顔に真っ白くおしろいを塗り、おちょぼ口に小さく紅を塗る、

そんなイメージを抱きませんか?

平安時代に限らずですが、「髪は女の命」。

このころの身分の高い女性たちは黒い髪を長く伸ばし、鮮やかな十二単をまとって、

たおやかに香を楽しむ、そんな生活を送っていたそうです。

そして長く伸ばした髪を際立たせるように、

顔におしろいをはたき、口は小さい方が上品、と考えられていたようですね。

前述しましたが、この時代の高貴な身分の貴族たちは、男性、女性変わりなく香を楽しんでいました。

香も個性。現代の香水に近い感覚で使われていたのは一目瞭然です。

 

それではお次は日本の歴史を考えるには避けて通ることのできない、

江戸時代にはなしを移しましょう。


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