こんにちは。
突然ですが、あなたは普段から小説を読みますか?
仕事や学校などでなかなか読書に時間をあてる余裕がない方も多いかと思います。
しかし限りある時間のなかで他人の描いた文体からなにかを感じとるという行為は素晴らしいものではないでしょうか。
ここでは、映画化された有名どころから少しマイナーであまり知られていないものまで、
筆者がいままで読んできた小説のなかで特に印象に残った美しい性描写のある小説を3冊紹介します。
1 トラッシュ 山田詠美著、文芸春秋
人を愛した記憶はゴミのようには捨てられない。黒人の男「リック」を愛した「ココ」。
愛が真実だったとしたら、なぜ二人は傷つき別れなければならなかったのか。
男、女、ゲイ、黒人、白人―、
ニューヨークに住むさまざまな人々の織りなす愛憎の形を、
言葉を尽くして描く著者渾身の長編。女流文学賞受賞。(「BOOK」データーベースより)
筆者がはじめてこの小説を読んだのは中学生のころでした。
再びこの小説を手に取ったのは20代になってからのことなのですが、
つくづくこの小説は歳を重ねるごとに感じ方が変わる小説だと思います。
そしてセックスという行為を体験してはじめて、
著者の描く主人公「ココ」の心情ははかることができるのではないか、とも。
どんなに憎んだとしても、
愛した記憶が残っている限り、相手に対してのある意味での「愛情」は否定することはできない。
たとえそれが時間を経てかたちが変わってしまっても。
誰かを愛した事実はたとえどんなことがあっても否定しなくてもいい、
過去を肯定してあげてもいいと自分を認めてくれたような小説でした。
2 花宵道中 宮木あや子著、新潮社
どんな男に抱かれても、心が疼いたことなない。
誰かに惚れる弱さなど、とっくに捨てた筈だった。あの日、あんたに逢うまではー
初めて愛した男の前で客に抱かれる朝霧、思い人を胸に初見世の夜を過ごす茜、
弟への禁忌の恋心を秘める霧里、美貌を持てあまし姉女郎に欲情する緑…
儚く残酷な宿命の中で、自分の道に花咲かせ散っていった遊女たち。
江戸末期の新吉原を舞台に綴られる、官能純愛絵巻。R-18文学賞受賞作。(「BOOK」データーベースより)
2014年、安達祐実主演で映画化もされた宮木あや子のデビュー作です。
遊廓を舞台とした小説は多々ありますが、
この小説はある種典型的な遊女の哀しい運命を悲観的に描いたものではありません。
もちろん登場人物である遊女たちはみなそれぞれの過去を背負っています。
しかしその最期がどのようであったにせよ、彼女たちはそれぞれの人生を受け入れて散っていった。
そして物語の舞台を遊廓とすることで避けて通ることのできない性行為が、
とても緻密に、かつ下卑たいやらしさを感じさせることがなく、むしろ美しく描かれています。
江戸時代末期当時の性風俗についても詳しく描かれ、
読み進める内にその儚く美しい世界観に引き込まれていくような小説です。
3 ナチュラル・ウーマン 松浦理英子著、河出書房新社 新装版
「私、あなたを抱きしめた時、生まれて初めて自分が女だと感じたの」
―二人の女性の恋は、「男と女ごっこ」を拒絶し自分たちに合った性愛を手探りするうちに、捩れていく。至純の愛と実験的な性を描き、発表当時から年を追うごとに評価の高まった異色の傑作。(「BOOK」データーベースより)
「私はこの小説を書いたことを誇りに思う。」と著者自身が語る通り、
いままで恐らくどんな作家も書いたことのないような異色の恋愛小説です。初版は1987年。
著者の松浦理英子は寡黙な作家ですが、
このナチュラル・ウーマンという小説は彼女の性愛を扱った小説のなかでもひと際異色を放つ作品です。
ひとを愛することは不毛なことかもしれません。けれどわたしたちは誰かを愛さずにはいられない。
そして自分のなかに決定的な杭を打ち込んでしまうようなひとが、必ず誰にでも存在するはずです。
そんなことを思い知らされたような作品でした。
いかかがでしたか。
今回は数多いる女性作家の恋愛、そして性愛を扱った作品のなかで、
特に筆者の心のある部分に大きな印象を残した作品を紹介させていただきました。
もしよろしければ、小説のなかでしか味わえない日常のなかにある非日常を堪能してみてください。
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