【ミシュラン】予約困難店に価値がないと思う3つの理由

 

こんにちは、JURURI編集部唯一の男子ライター RYOです。

実は僕こんな感じなんですが、食にかなり凝ったことがあり、それこそ都内でかなり有名なレストランを食べて歩いた時期がありました。

そのとき付き合っていた彼女が「割り勘でいいから」そういうグルメな店にいろいろ行ってみたいというタイプだったからなのですが笑

最近SNSで話題のミシュラン◯ツ星 予約困難店の中にも行った店があるのですが、こう思います。

 

ミシュラン予約困難店をありがたがるのはおかしい

 

本物のグルメでも、食ライターでもないのに、と言われちゃいそうですが

「だからこそ」

思うことです。

では、どうしてミシュラン 予約困難店には行く価値がないと僕は思うのか?

しばしお付き合いいただけますと嬉しいです。

 

1. ミシュランガイドに価値がない

さてまずこれにつきると思います。

東京では多くの店が今、これでダメになっていると言われています。

美味しくて良いお客さんに愛される店だったものが、ミシュラン掲載されたために自称グルメな人たちが押し寄せてしまって、予約困難になってしまった。

ミシュランガイド掲載店に押し寄せる客って、たいがい料理を一品ずつパシャパシャ写真を撮って、その場でインスタに載せています。

店の方も本当は良いお客さんと対話しながら作っていたから、その日の気分に合わせて一番美味しいものを出すこともできたはずです。

インスタ大好きな自称グルメな人たちが列を成すようになったら、時間を決めて一斉スタートのコースにせざるを得ないですし、そうなっているお店も多いようです。

お客さんからのリアルタイムのフィードバックとか対話はなくなってしまい、味がわからないけど高級なものや珍しいものを食べたい客に、インスタ映えする料理を出すしかなくなります。

ミシュランガイドの審査基準がどうこういうよりも、ガイドがこうして食文化をチープにしている状態を見る限り、ミシュランガイドとその掲載店というものには価値がないと思えるんです。

 

2. 予約困難店より、家族で食卓を囲みたい

SNSで見ていて思うのが、予約困難店に言っている人に限って、プロフィールに彼女や彼氏、奥さんや旦那さんが出てこないということ。

なんか、見ていてとても寂しそうに感じます。

本当はどうかわからないけど、日常の生活で満たされていないから、予約困難店に行ったことをアピールして自尊心を満たしたいのでは?など勘ぐってしまいます。

非日常な世界でご飯を食べて、それを配信して、いいねとかコメントがついて…..でも、根本的なものが欠如していません?

大事なのって、誰とどんな気分でご飯を食べているかだと思うんです。

ある日、その時期に付き合っていたグルメ好きな彼女とあるフレンチで食事をした次の日のことですが、僕は祖父母の家に用事で行き、そこの食卓で秋刀魚を食べたんですね。

自分が小さいときからあるちょっと小さい食卓を囲んで、田舎なんで秋の虫の音が聞こえていました。

正直、前日にわざわざ予約して彼女と食べたフォアグラのマカロンとか、キャビアとサーモンの小さいタルトとかの味は正直そんな覚えていません。

でもその時に食べた秋刀魚の味は、全部覚えているんですよね。

そこで「こうやって将来自分たちの子供と、孫と一緒に食卓を囲める相手がいいな」と漠然と思い、そのときに派手好きの彼女との別れを漠然と感じてしまったことさえ覚えています。

食事ってそういう情景的なものだと思うんですよね。

予約困難店で高級食材で、というのはあまりにも食事の一部だけを切り抜いて誇張したように感じます。

ハリウッドの最強ヒーローが勝つ大迫力アクション映画的な。

 

3. 冷静に味わうことができないこと

もう一つ、予約困難店の大きな問題は冷静に食べ物を味わうことができないということ。

数ヶ月、半年、1年も待って訪れたレストラン。

本来はそれほど美味しいものなのであれば、携帯電話の電源も切って、本当に仲のいい友人やパートナーや家族と一緒にゆっくりと楽しみたいものですよね。

でも実際は、憧れのタレントを目の前にした熱狂的なファンみたいなもの。

舞い上がって、写真を撮って、インスタにアップして、という風になってしまいます。

またミシュランガイドに掲載されるような予約困難店は、情報がとても多いです。

料理を一皿出すときには、これはどこどこの何々をこれこれこうしたもの。と必ず講釈が付いてくるものです。

しかし料理は情報を食べるものではなく、純粋に目と舌で味わうもの。

事前情報はない方が、味の良し悪しはよくわかります。

食べて美味しければ「これはどのように作っているんですか?」と聞けばいいし、パクッと食べて不味かったものの講釈なんか本当は聞きたくないものですよね。

でも事前情報、講釈がないと高いコース料金に説得力がなくなってしまうし、SNSでの宣伝にならないんです。

このように、予約困難店には食べ物を味わうのに邪魔な要素があまりにも多すぎます。

 

空前のグルメブーム。

でもその心理は本当の意味で食を楽しむこととはかけ離れていると思います。

もっと本質的に楽しむ食事に、回帰しませんか?